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目次
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ドラマ「太平記」の作品情報とあらすじ
放送 | 1991年冬 |
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話数 | 全49回 |
放送局 | NHK |
公式サイト | 太平記|NHK |
公式Twitter | NHK|公式 |
出演・キャスト | 真田広之 / 沢口靖子 / 萩原健一 / 武田鉄矢 / 陣内孝則 / 柳葉敏郎 / 緒形拳 / 原田美枝子 / 高嶋政伸 / 堤大二郎 |
第1回:1991年1月6日
14世紀初頭、鎌倉幕府は北条一族が専制の色を強め、執権・北条高時(片岡鶴太郎)をかげで操る実力者・長崎円喜(フランキー堺)は御家人の最大勢力である足利氏をすきあらば滅ぼそうと考えていた。そんな折、足利氏の棟梁(りょう)である足利貞氏(緒形拳)のもとに嫡男誕生のしらせが届く。その子こそが幼名を又太郎、のちの足利高氏(尊氏・真田広之)であった。
第2回:1991年1月13日
足利高氏(真田広之)は長崎円喜(フランキー堺)の従者の僧侶たちへの残忍な仕打ちを目撃。助けようとした高氏はあわやというところで山伏に変装した日野俊基(榎木孝明)に助けられる。この一件で父・貞氏(緒形拳)が円喜に謝罪に行ったと知り、高氏は円喜の非を主張する。貞氏は北条の非難を避けるため、伊勢神宮参拝を口実に高氏を京に遣わす。旅の途中、高氏は花夜叉(樋口可南子)率いる田楽一座と出会う。
第3回:1991年1月20日
入京した足利高氏(真田広之)は醍醐寺を訪ねた折、偶然にもその庭で後醍醐天皇(片岡孝夫)に出会い、日野俊基(榎木孝明)との再会を果たす。俊基は高氏に腐敗した鎌倉への倒幕の意志をあかし、足利の力が必要だと訴える。高氏は六波羅勢に追われる俊基を助け、佐々木道誉(陣内孝則)の屋敷に連れられる。道誉の屋敷で宴会となり、花夜叉(樋口可南子)一座の白拍子の藤夜叉(宮沢りえ)と出会い、一夜をともにする。
第4回:1991年1月27日
公家を中心とした倒幕の謀反が発覚し、足利高氏(真田広之)は日野俊基(榎木孝明)との関係を疑われ、六波羅にて取り調べを受ける。鎌倉で、父・貞氏(緒形拳)が長崎円喜(フランキー堺)に頭を下げ、円喜は案ずるに及ばずと言う。俊基の犠牲もやむなしとする公家の中、後醍醐天皇(片岡孝夫)は、心痛の面持ちであった。高氏は六波羅から釈放され、鎌倉への帰途についたが、藤沢の手前で侍所の武者に包囲されてしまう。
第5回:1991年2月3日
足利高氏(真田広之)捕縛は、北条家による足利家への宣戦布告にみなされ幕府に緊張が走る。父・貞氏(緒形拳)は北条高時(片岡鶴太郎)に直接会い高氏釈放を願い出るが、長崎円喜(フランキー堺)の力の大きさを思い知らされる。そのころ、鎌倉に護送される日野俊基(榎木孝明)を見守る花夜叉(樋口可南子)一座がいた。鎌倉の足利つぶしにも発展しかねない状況を知り、藤夜叉(宮沢りえ)はショックを受ける…。
第6回:1991年2月10日
赤橋守時(勝野洋)の計らいで解放された足利高氏(真田広之)は、父・貞氏(緒形拳)と守時の館へ赴く。守時は北条一族の身内として、今回の横暴を深くわびる。更に守時は、妹・登子(沢口靖子)との縁談をもちかける。一方、日野俊基から脇差しを預かったましらの石(柳葉敏郎)は、楠木正成(武田鉄矢)との出会いを果たす。そのころ高氏は佐々木道誉(陣内孝則)から、藤夜叉(宮沢りえ)と自分との驚くべき情報を聞かされる。
第7回:1991年2月17日
奥州の反乱は鎌倉からの度重なる鎮静軍にもかかわらず収まる気配がなかった。長崎円喜(フランキー堺)は足利屋敷を直接訪ね、足利市に6千もの兵を要請する。「北条家の身内になる大大名」と言われては貞氏(緒形拳)も断ることができなかった。一方、藤夜叉(宮沢りえ)の妊娠を知ったましらの石(柳葉敏郎)が藤夜叉を連れ去ろうとしたとき高氏(真田広之)が現れる。藤夜叉に「ともに京へ」と誘われた高氏は心乱れてしまう。
第8回:1991年2月24日
足利高氏(真田広之)の子をみごもった藤夜叉(宮沢りえ)は伊賀へと旅立つ。父・貞氏(緒形拳)は右馬介(大地康雄)に、藤夜叉の様子と楠木正成の動向を探らせる。謀反の疑いで捕らえられていた日野俊基(榎木孝明)は無罪放免となり京へ帰る。一方、長崎円喜(フランキー堺)を暗殺して北条氏混乱を企てる一味が、花夜叉(樋口可南子)の一座に潜り込んでいた。そんな中、高氏と登子(沢口靖子)婚礼の祝宴が盛大に行われる。
第9回:1991年3月3日
北条高時(片岡鶴太郎)の狂乱、ましらの石(柳葉敏郎)との格闘の末、ようやく屋敷に帰り着いた足利高氏(真田広之)は、父・貞氏(緒形拳)が不治の病に倒れたことを知る。貞氏から祖父・家時の遺言内容を聞かされ、「父のように迷うな」という言葉とともに家督を譲り受ける。執権職は金沢貞顕(児玉清)を経て、赤橋守時(勝野洋)が継ぐこととなった。一方、伊賀の里では、藤夜叉(宮沢りえ)のもとで高氏の子が育っていた。
第10回:1991年3月10日
元徳5年(1331)、幕府は帝(みかど)の側近たちを一斉検挙。都の異変は鎌倉に届き、長崎円喜(フランキー堺)に反長崎と目された佐々木道誉(陣内孝則)は命からがら足利館に逃げ込む。足利高氏(真田広之)直義(高嶋政伸)らは、日野俊基(榎木孝明)の斬首と後醍醐天皇(片岡孝夫)の流島の可能性を聞かされる。幕府は京へ3千の兵を送り、帝が奈良から笠置山に立てこもったというしらせが楠木正成(武田鉄矢)に…。
第11回:1991年3月17日
元弘元年(1331)9月、六波羅軍のまさかの敗北で喪中の足利にも出兵命令が下る。第一陣から数日遅れて出立することにした足利高氏(真田広之)は「矢は一本もうたぬ。必ず無事に帰る」と登子(沢口靖子)に約束する。そのころ「南なる大樹の木陰に休め」という不思議な夢をみた後醍醐天皇(片岡孝夫)は、「楠木正成(武田鉄矢)を召せ」と詔(みことのり)を下す。
第12回:1991年3月24日
楠木立つとの情報を得た足利高氏(真田広之)は幕府が苦戦を強いられるだろうと感じる。一方、笠置山に入った楠木正成(武田鉄矢)は後醍醐帝(片岡孝夫)と対面し策を述べ下山、河内で挙兵した。不意をついた楠木軍は数日のうちに河内の北条軍を大混乱に陥れた。しかし持明院統の新帝を即位させた北条氏は後醍醐帝を先帝とし、帝(みかど)派から大義を奪うことに成功する…。
第13回:1991年3月31日
捕えられた後醍醐帝(片岡孝夫)は都に送られ六波羅に幽閉された。そのころ後醍醐帝の側近である北畠親房(近藤正臣)は鎌倉将軍の中で唯一、後醍醐帝の兵と戦うそぶりを見せなかった足利高氏(真田広之)に興味を示す。息子・顕家(後藤久美子)の嘆願で親房に会った高氏は後醍醐帝を暗殺者から守ってほしいと頼まれる。一方、2万を超える幕府軍は、わずか5百の兵で赤坂城に立てこもる楠木正成(武田鉄矢)軍を攻めたてた。
第14回:1991年4月7日
元弘元年(1331)10月、赤坂城が陥落、楠木正成(武田鉄矢)は姿をくらます。そのころ伊賀付近を進軍中の足利高氏(真田広之)は、北条の使者より正成追討を命じられる。そのとき正成は花夜又(樋口可南子)らと合流、かくまわれることに。正成と花夜叉は実は…。一方、高氏らが伊賀の里を通る頃、一色右馬介(大地康雄)が休憩を勧める。高氏は水をもらいに近くの小屋へ寄る。そこは藤夜叉(宮沢りえ)らの住む家だった…。
第15回:1991年4月14日
花夜叉(樋口可南子)一座と同行する楠木正成(武田鉄矢)が、関所に留め置かれてしまう。正成を発見した足利高氏(真田広之)は、機転を利かせ一座を放免する策をうつ。そのころ後醍醐帝(片岡孝夫)の隠岐島への配流が決まる。鎌倉に戻った高氏は父の弔いもそこそこに出陣したことが気がかりであり、さっそく法要をと考えていた。しかし幕府は足利一族の集結を好まず、これを禁止したのであった。
第16回:1991年4月21日
元弘2年(1332)3月、後醍醐帝(片岡孝夫)を隠岐ヘ護送する幕府軍の指揮は佐々木道誉(陣内孝則)がとっていた。道誉の後醍醐帝に対する気遣いは幕府の不興を買う。足利高氏(真田広之)は懸案されていた亡き父の葬儀を行い、足利寺には一族が集結。その中には新田義貞(根津甚八)の顔もあった。義貞は高氏と面会して足利の本心を問う。そのころ幕府の手に落ちていた赤坂城を楠木正成(武田鉄矢)が奪い返す。
第17回:1991年4月28日
元弘2年(1332)冬、佐々水道誉(陣内孝則)亭を訪れた足利高氏(真田広之)は、道誉に倒幕の意を明かす。そして同席していた花夜叉(樋口可南子)に、楠木正成(武田鉄矢)にも伝えるよう頼む。翌年1月、勢いを増す正成軍に対し幕府は10万の軍勢を送る。その軍勢には足利の名はなかった。足利軍を含めた第二陣の出兵の時こそが鎌倉が手薄になる。高氏はひそかにその機会を狙っていた…。
第18回:1991年5月5日
元弘3年(1333)、後醍醐帝(片岡孝夫)が隠岐から脱出し、宮方の軍勢の勢いは増すぱかり。河内の楠木正成(武田鉄矢)も壮絶な戦いを続けていた。足利高氏(真田広之)は、幕府がその動きに対して第二軍を送る時、鎌倉が手薄になる機会を狙っていた。そのころ高氏のところに執権・赤橋守時(勝野洋)が訪れる。軍勢の催促であった。一方、新田義貞(根津甚八)は六波羅軍とともに千早城攻めに参加していた。
第19回:1991年5月12日
元弘3年(1333)、河内・千早城に立てこもっていた楠木正成(武田鉄矢)は、数十万の幕府軍を相手に、千人にも満たない兵で知力を尽くして戦っていた。そして隠岐から後醍醐帝が脱出されたとのしらせを聞き勢いを取り戻す。一方、出陣が近づく足利高氏(真田広之)と、仮病を使って鎌倉へ戻ってきた新田義貞(根津甚八)が密会する。高氏は自らの倒幕の意志を義貞に打ち明ける…。
第20回:1991年5月19日
元弘3年(1333)、「北条を討ち政を正そうと思う。敗れれば滅ぶ。勝っても裏切り者と罵られよう」。鎌倉出陣の朝、足利高氏(真田広之)は直義(高嶋政伸)と高師直(柄本明)に告げる。足利ゆかりの三河矢作の地に到着した高氏は、分家一同に“敵は北条”の真意を告げ、伯耆船上山の後醍醐帝(片岡孝夫)のもとヘ、北条討伐の綸旨を下しおかれるよう密使を走らせる。後醍醐帝と共に戦う意志を、高氏は明確にしたのだった。
第21回:1991年5月26日
足利高氏(真田広之)は、京の六波羅軍に反旗を翻した。そのころ新田義貞(根津甚八)は鎌倉攻めの兵が思うように集まらずいらだっていた。だが戦費を迫る鎌倉の役人を斬り、上野国(今の群馬県)生品神社にて挙兵した。兵はわずかに150。しかし新田の勢いは目をみはるものがあり、次々に敵をを打ち破りながら軍勢を増やし南下していった。一方、高氏は六波羅を落としていた。それはわずか2日問の戦いであった。
第22回:1991年6月2日
元弘3年(1333)5月、鎌倉を攻める新田義貞(根津甚八)は、必死に抵抗する北条軍に苦戦する。足利高氏(真田広之)は、一色右馬介(大地康雄)に登子(沢口靖子)の兄・赤橋守時(勝野洋)の救出を命じるが、守時は応じず自害する。義貞は知略を駆使し北条軍の防衛網を突破。戦意を失った北条高時(片岡鶴太郎)は、長崎円喜(フランキー堺)、高資(西岡徳馬)と自害し果てる。150年の鎌倉幕府はここに幕を閉じる。
第23回:1991年6月9日
元弘3年(1333)5月、鎌倉幕府は滅亡。京・六波羅の北条軍を滅ぼした足利高氏(真田広之)は、すぐさま都の再建に着手する。六波羅陥落のしらせを受けた後醍醐帝(片岡孝夫)は京を目指していた。西宮で楠木正成(武田鉄矢)の出迎えを受け、高氏と佐々木道誉(陣内孝則)の待つ東寺に到着。ある夜、宴会で高氏は正成と再会する。北畠親房(近藤正臣)亭を訪れた護良親王(堤大二郎)は「次なる北条」と高氏を敵視する。
第24回:1991年6月16日
鎌倉幕府が滅亡してひと月。足利高氏(真田広之)は、後醍醐帝(片岡孝夫)の新政のもと、鎮守府将軍として都の再建と治安にあたっていた。そのころ足利と新田の微妙な関係に軋轢(あつれき)が生じていた。後醍醐帝は高氏を敵視する護良親王(堤大二郎)に「高氏もそなたの力も、ともに大切に思うておる」と言い聞かせていたが…。
第25回:1991年6月23日
護良親王(堤大二郎)は楠木正季(赤井英和)らに足利高氏(真田広之)暗殺を依頼する。二人の仲を案ずる後醍醐帝(片岡孝夫)は両者の手打ちの場所を設け、高氏の真意を問う。「諸国より武士を集めてなんとする」。高氏はちゅうちょすることなく「万事、ご新政のため」と答える。そのころ、護良親王の催促によって、新田義貞(根津甚八)が上洛。高氏は帝の名の一字を授かり「尊氏」となる。
第26回:1991年6月30日
廉子(原田美枝子)の部屋にて倒幕の恩賞沙汰が決められていたが、それは平等とは言い難いものであった。赤松円心(渡辺哲)はともに六波羅を攻め落とした尊氏(真田広之)のもとを訪れ、帝(片岡孝夫)を信じた自分が愚かだったと嘆く。尊氏にしても新田義貞(根津甚八)との間に恩賞の差を感じていた。そのころ北畠親房(近藤正臣)顕家(後藤久美子)親子は帝から奥州下向を命じられていた。
第27回:1991年7月7日
奥州に火の手をあげた北条残党軍の討伐のために朝廷は北畠顕家(後藤久美子)を派遣した。公家の派遣という前代未聞の沙汰にとまどう武家。尊氏(真田広之)も「戦は武家にお任せあればよいものを」と愚痴をこぼす。しばらく後、尊氏は帝(片岡孝夫)に拝謁すべく参内した。目的は鎌倉及ぴ関東の治安維持を武家に委ねて欲しいと願うことであった。それは公家支配の新政ヘ真っ向から立ち向かうことを意味していたのである。
第28回:1991年7月14日
足利尊氏(真田広之)は、鎌倉及び東国の治安維持を武家の手に委ねるよう帝(片岡仁左衛門)に訴えようとするが、そこで廉子(原田美枝子)から「皇位後継者」の取引を持ちかけられる。取引を不快に思った尊氏が帝に直接願い出ると、意見は聞き届けられ、弟・直義(高嶋政伸)の鎌倉下向が認められる。また帝の皇子・成良親王が預けられたことで足利軍は帝の軍である証を得たが、都には公家と武家の戦の波が押し寄せてきていた。
第29回:1991年7月21日
護良親王(堤大二郎)は尊氏の台頭を恐れ、戦を仕掛けようと画策する。この動きを察知した尊氏(真田広之)は「都を戦火から守りたい」と各地の武家に声をかけ、六波羅に軍勢を集め始めた。これに呼応したのは楠木正成(武田鉄矢)をはじめとするそうそうたる武家であった。新田義貞(根津甚八)の足利への反論も正成の巧みな説得で抑えられ、尊氏の優勢は揺るぎないものとなった。護良親王は帝に初雪の宴に招かれ…。
第30回:1991年7月28日
西園寺公宗(長谷川初範)を中心とした帝暗殺計画が密かに話し合われていた。そのことは尊氏(真田広之)の耳にも届き北条の残党に対する懸念も深めていた。尊氏の不安は的中し、北条の残党に攻められた鎌倉は陥落寸前であった。足利勢は鎌倉を脱出する折に護良親王(堤大二郎)を殺害してしまう。思いもよらぬ事態の急転に尊氏は、征夷大将軍の宣旨を帝(片岡孝夫)に請うため参内を願い出るのであった。
第31回:1991年8月4日
北条軍は、ついに鎌倉になだれ込んだ。同じころ尊氏(真田広之)は帝(片岡孝夫)へ拝謁し、鎌倉への出陣とともに征夷大将軍の位を懇願。しかし帝からの許しは得られず都に足止めをされた。尊氏は一族の存亡をかけて関東への出陣を決意する。佐々木道誉(陣内孝則)らそれに呼応した武家は多く、都を出る足利軍は数千にも及んでいた。そのころ美濃の藤夜叉(宮沢りえ)親子に突然の悲劇が訪れていた…。
第32回:1991年8月11日
公家の家人に切りつけられ、深手を負った藤夜叉(宮沢りえ)は死の床についていた。それを知った尊氏(真田広之)は医師を連れて藤夜叉のもとに訪れた。関東へ出陣する尊氏は見舞っただけで藤夜叉のもとを去らねばならなかった。三河に入った尊氏は直義(高島政伸)との再会を果たす。そこで直義が護良親王を斬ったことを知らされ「帝にどのように申し開きを…」と嘆く尊氏に、義直は「都へ帰らねばよい」と言い放つ。
第33回:1991年8月18日
鎌倉を奪還した尊氏(真田広之)は北条の残党を信濃の国まで追い詰めた。鎌倉で内々に開かれた戦勝祝いの席では不知哉丸(山崎雄一郎)を連れた花夜叉(樋口可南子)一座が舞をつとめていた。その夜、尊氏は妻・登子(沢口靖子)に全てを打ち明け不知哉丸を引き取りたいと打ち明けたが、登子は受け入れなかった。その後、関東制圧を目指す足利軍は公家方支配の領地にまで踏み込んだ。その勢いは棟梁の尊氏にも止められなかった…
第34回:1991年8月25日
尊氏(真田広之)のもとへ勅使が訪れた。都への召喚を伝える勅使である。直義(高島政伸)以下の一族は力ずくでも尊氏の上京を阻もうとする。尊氏が鎌倉を出てこないと知った帝(片岡孝夫)は、新田義貞(根津甚八)に命じて尊氏追討の軍をたたせる。戦を避けるため、尊氏は出家を決意するが、佐々木道誉(陣内孝則)は「どうあっても尊氏を討つ」という偽の宣旨を見せ、「わしは新田と手を組んででも生き延びる」と尊氏に迫る。
第35回:1991年9月1日
鎌倉から出陣した尊氏(真田広之)は新田勢を次々に打ち破り、一気に近江・大津ヘ押し寄せた。そして尊氏は正成(武田鉄矢)に直接会談を申し込む。相対面した尊氏と正成。「このまま行けるところまで行く」と言う尊氏に、正成は「帝が朝敵と定めた足利殿とは戦うまで。ここから鎌倉ヘ引き上げてくれ」と答え、交渉は決裂。その後、足利軍は一度は京ヘ押し入るものの楠木・新田の連合軍に敗れて、九州まで追いやられることとなる。
第36回:1991年3月24日
義貞(根津甚八)は足利にくみする播磨の赤松円心(渡辺哲)討伐に向かったが、円心の籠城策を打ち破れずにいた。そのころ尊氏(真田広之)は新たな援軍を得て京へ向かって進軍していた。足利大挙襲来の報せに驚いた帝(片岡孝夫)は正成(武田鉄矢)を含めた畿内の兵に出陣を促した。新田・楠木の軍勢と湊川で相対した尊氏は奇策を使って、これを撃破したのであった。義貞は単身京ヘ退却する。
第37回:1991年9月15日
足利軍との壮絶な戦いを繰り広げる正成(武田鉄矢)。しかし軍神は尊氏(真田広之)に味方した。敗れた正成は降伏勧告を断って死に場所を求めてさまよった。そして正成と正季(赤井英和)は、とある道場にたどり着く。「わしは鬼にはなれぬ、七度でも人間に生まれ、家の木庭に花を作り、外には戦いのなき世を眺めたい」。こうして正成は一族とともに自刃した。足利の勢いを恐れた帝(片岡孝夫)は叡山に再度の動座を決意した。
第38回:1991年9月22日
足利優勢に戦は続き、尊氏(真田広之)は帝(片岡孝夫)ヘ密使を送った。帝へ降伏を願い出たのである。それを知った義直(高嶋政伸)は激怒するが、実は尊氏は帝へ、降伏を勧めていたのであった。帝はそれを受け入れ、叡山を下った。その後、後醍醐帝から光明帝(海野義貴)に皇位継承が行われた。同時に尊氏は権大納言に任じられ、京に新たな幕府が開かれた。しばらく後、先帝の後醍醐が都から姿を消した…。
第39回:1991年9月29日
不知哉丸(筒井道隆)が武士になりたい、と尊氏(真田広之)の元へやってきたが、それは亡くなった母の望んだことではない、と追い返す。一方、南朝の期待を背負う北畠顕家(後藤久美子)は、足利軍を打ち破りながら西走した。しかし京を目前にして、顕家は伊勢ヘ向かう。そこには父・親房(近藤正臣)がいた。「なぜ伊勢へ来た。」と父に叱陀された顕家は「顕家は疲れました。無性に父上にお会いしたくなりました」と答え…。
第40回:1991年10月6日
不知哉丸(筒井道隆)は直義(高嶋政伸)の養子となり、元服して直冬となった。同じ頃、越前の義貞(根津甚八)はわずかな兵とともに戦っていた。足利方の射た矢が義貞に命中。これが致命的な一矢となった。義貞戦死の報せはすぐさま尊氏(真田広之)のもとに届いた。翌年、念願であった征夷大将軍を拝命した尊氏は名実ともに武家の棟梁となり、足利幕府が開かれる。しかし、これが尊氏と直義の不幸の始まりだったのである。
第41回:1991年10月13日
吉野の後醍醐帝(片岡孝夫)が廉子(原田美枝子)たちにみとられて息を引き取った。後醍醐帝崩御の報せは直ちに尊氏(真田広之)に届いた。主を亡くした南朝方は各地で激しい反撃に出る。幕府はそれを力でねじ伏せていく。まさに血みどろの戦いであった。一方、幕府では評定方の直義(高嶋政伸)と高師直(柄本明)などの有力武将との対立が起こっていた。そして直義と道誉(陣内孝則)の問でも激しい争いが起こっていた。
第42回:1991年10月20日
師直(柄本明)は塩冶判官高貞(浅野和之)の妻・西台(相川恵理)という女に夢中であった。屋敷に忍び込み、高貞の家臣に斬りつけられる始末。そんな折、上皇(辻輝猛)の列に矢を射たものがいた。外様の土岐頼遠(下元史朗)である。土岐を捕らえ、直義(高嶋政伸)は尊氏(真田広之)が止めるのも聞かず、頼遠を斬首してしまう。幕府内の不協和音に尊氏は危機感をつのらせる。とき同じく、母・清子(藤村志保)が世を去る…。
出演
第43回:1991年10月27日
親房(近藤正臣)が吉野に戻ったことで南朝方の士気が盛んになった。九州・河内で南朝方の武将が立ち上がったのである。一方、足利家内では直義(高嶋政伸)と師直(柄本明)の対立が激化していた。同じとき、尊氏(真田広之)と親房の間で秘密の会談が開かれた。南朝が幕府を認めるならば吉野の後村上帝(渡辺博貴)に京を返上すると尊氏は持ちかけたのである。思ってもみない和議の申し出に驚く親房であったが、これを拒否した。
第44回:1991年11月3日
直義(高嶋政伸)は帥直(柄本明)の暗殺を謀るが失敗に終わる。しばらく後、尊氏(真田広之)の屋敷にて宴が催された。そのとき師直・師泰(塩見三省)らのクーデターが知らされる。これは直義の目を覚まさせるために尊氏の仕組んだものであった。尊氏邸に居合わせた道誉(陣内孝則)は様子見。尊氏は直義に政から身を引かせ、鎌倉の義詮(片岡孝太郎)に譲ろうと考えていた。そして仕組まれたクーデターの幕が開いた…。
第45回:1991年11月10日
師直(柄本明)が尊氏(真田広之)の屋敷を取り囲んでいた。直義(高嶋政伸)の失脚が狙いである。尊氏、道誉(陣内孝則)、帥直を敵にして勝てるはずもなく、直義は幕府の実権を鎌倉の義詮(片岡孝太郎)に譲ることを宣言する。その後、鎌倉から義詮が呼ばれることとなる。足利宗家の期待を一身に浴びての入京である。しかし翌年、直冬(筒井道隆)が九州で挙兵することととなる。それは尊氏の新たな苦悩の始まりであった…。
第46回:1991年11月17日
師直(柄本明)は直冬(筒井道隆)、直義(高嶋政伸)を討つべしと尊氏(真田広之)に進言していた。聞き入れない尊氏に対し師直は不満を抱く。しぱらく後、直冬が蜂起。事態を重くみた尊氏は自ら出陣を決意した。一方、二条の君(森口瑤子)からそそのかされた師直は、対立する直義だけでなく棟梁の尊氏までも討とうと密かに考えていた。そのころ幽閉中の直義が都から姿を消した。南朝方に降伏の申し出に行ったのである…。
第47回:1991年11月24日
直義(高嶋政伸)が攻めてくるという報せは、すぐに尊氏(真田広之)に届いた。尊氏は直冬(筒井道隆)討伐に備前まで来ていたが、すぐさまとって返す。一方、京の義詮(片岡孝太郎)は直義蜂起の報せを受け、ひとまず京を退いた。摂津にて激突した尊氏と直義。数の上では勝っていた尊氏であったが直義の前に敗れる。直義は師直(柄本明)の身柄を要求したが尊氏は断固はね返す。結局、師直兄弟の出家にて和議が成立したのだが…。
第48回:1991年12月1日
兄であり将軍である尊氏(真田広之)を討ち負かした直義(高嶋政伸)が京へ戻ってきた。直義は敗軍の将である尊氏を招いて戦後処理会議を行おうとした。だが、やってきた尊氏は、直義が戦ったのは高師直で、尊氏ではない、という詭弁を弄して、大御所然とした堂々たる態度であった。結局、その後も各地で尊氏将軍派と直義派の戦が頻繁に起こる。間もなく九州の直冬(筒井道隆)も将軍派と戦いを始め、次々に打ち破っていった…。
最終回:1991年12月8日
京を出た尊氏(真田広之)と義詮(片岡孝太郎)は南朝の親房(近藤正臣)と休戦を取り付け、後顧の憂いを絶ってから直義(高嶋政伸)と戦う。尊氏は直義を幽閉し、従うよう再三説得するが聞かず、ついに尊氏は直義を毒殺する。その後、京へ戻った尊氏は、南朝に身を投じた直冬(筒井道隆)と戦う。直冬は京まで上って来るが…。最後の戦から三年後、京の館にて、登子(沢口靖子)と道誉(陣内孝則)と猿楽を楽しむ中、尊氏は…。
「太平記」の感想まとめ
- 馬上で仰向けのポーズの真田さんの体幹や運動神経は凄いです。
- 真田さんの殺陣はやっぱりキレキレでカッコよかった。
- 大河ドラマを最後まで観た唯一の作品です。足利尊氏を「思いやり」「同情」
「共感」などを感じさせる人物として演じきった真田広之さんには感心させられましたが脇役がまた素晴らしかった。
ドラマ「太平記」の原作について
NHKの大河ドラマ「太平記」の原作は「毎日新聞」にて連載していた「私本太平記」という吉川英治さんによる歴史小説です。
ドラマを視聴して原作漫画が気になった方はぜひチェックしてみて下さい。
ドラマ「太平記」の再放送について
一般的にテレビドラマは一定の期間を空け、放送時間帯を変えて再放送されるケースがあります。
ドラマ「太平記」の再放送について調べてみましたが、再放送の情報はありませんでした。
ただ、ドラマの再放送は過去の視聴率によってはされる作品もあります。
そこで次にドラマ「太平記」の放送当時の視聴率を調べてみました。
ドラマ「太平記」の視聴率は?
ドラマ「太平記」の放送当時の視聴率は下記のようになっていました。
- 第1話「父と子」 視聴率34.6%
- 第2話「芽生え」 視聴率34.3%
- 第3話「風雲児」 視聴率33.0%
- 第4話「帝 ご謀反」 視聴率31.0%
- 第5話「危うし足利家」 視聴率28.9%
- 第6話「楠木登場」 視聴率30.2%
- 第7話「悲恋」 視聴率33.1%
- 第8話「妖霊星」 視聴率32.5%
- 第9話「宿命の子」 視聴率32.1%
- 第10話「帝の挙兵」 視聴率30.5%
- 第11話「楠木立つ」 視聴率30.2%
- 第12話「笠置落城」 視聴率31.6%
- 第13話「攻防赤坂城」 視聴率25.5%
- 第14話「秋霧」 視聴率19.9%
- 第15話「高氏と正成」 視聴率25.0%
- 第16話「隠岐配流」 視聴率24.3%
- 第17話「決断の時」 視聴率22.0%
- 第18話「帝の脱出」 視聴率21.7%
- 第19話「人質」 視聴率29.2%
- 第20話「足利決起」 視聴率27.7%
- 第21話「京都攻略」 視聴率27.5%
- 第22話「鎌倉炎上」 視聴率27.5%
- 第23話「凱旋」 視聴率24.6%
- 第24話「新政」 視聴率22.9%
- 第25話「足利尊氏」 視聴率22.3%
- 第26話「恩賞の波紋」 視聴率24.8%
- 第27話「公家か武家か」 視聴率24.6%
- 第28話「開戦前夜」 視聴率22.9%
- 第29話「大塔宮逮捕」 視聴率22.2%
- 第30話「悲劇の皇子」 視聴率22.4%
- 第31話「尊氏叛く」 視聴率21.8%
- 第32話「藤夜叉死す」 視聴率22.0%
- 第33話「千寿王と不知哉丸」 視聴率21.5%
- 第34話「尊氏追討」 視聴率24.7%
- 第35話「大逆転」 視聴率23.4%
- 第36話「湊川の決戦」 視聴率27.6%
- 第37話「正成自刃」 視聴率24.6%
- 第38話「一天両帝」 視聴率25.7%
- 第39話「顕家散る」 視聴率26.2%
- 第40話「義貞の最期」 視聴率22.9%
- 第41話「帝崩御」 視聴率19.9%
- 第42話「母の遺言」 視聴率20.8%
- 第43話「足利家の内紛」 視聴率25.3%
- 第44話「下剋上」 視聴率22.0%
- 第45話「政変」 視聴率24.2%
- 第46話「兄弟の絆」 視聴率22.8%
- 第47話「将軍の敗北」 視聴率26.0%
- 第48話「果てしなき戦い」 視聴率23.0%
- 最終回「尊氏の死」 視聴率24.6%
平均視聴率は「26.0%」と高い水準となっていました。
視聴率が良い作品が再放送される傾向にあるドラマですが、この平均視聴率なら再放送される望みは高いと思われます。「大河ドラマアンコール」としてNHK-BSプレミアムが2020年4月5日から毎週日曜6:00 – 6:45に放送しています。
ドラマ「太平記」の動画はU-NEXT(NHKオンデマンド)で無料視聴できるので、U-NEXTにログインして視聴しましょう。
「太平記」を視聴した方におすすめの人気ドラマ
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